弱虫ペダルが好きすぎて

祝!連載10周年!!アニメ4期は2日目の山へ!週チャン連載はいよいよラストゴールへ!ゆるペダルナイトで『総北信号機トリオの手繋ぎゴール』を先生にお願いしたかったのに忘れて大後悔中。弱虫ペダルの好きな場面と時々声優関智一さんの舞台話など。

神楽坂怪奇譚 -棲- 好きな人から受け取った熱量を次に送り出す

わたるん先生

www.yowapeda.net

4日の記事を書かせた何かが気になって頭から離れず、好きな人から受け取った熱量を次に送り出す、ということをずっと意識の奥のほうで温めていたらこちらの"非公開ユーザー (id:hetyo525)"さんの記事に出会いました。

オタクとして消費者として一流でありたい、という話 - ゅぃゅぃ日記


心の中でもやもやと浮かんでいたものへの答えにつながるヒント? 先を照らす灯?
すごい共感したこの一言。

まずは、熱量を保持し続け、不格好でも形に残しておくことです。熱量だけは、失ってしまうと取り返しがつかないものなので。

オタクとして消費者として一流でありたい、という話 - ゅぃゅぃ日記


確かに舞台からの帰り道、感じたことを忘れないようにスマホに単語の羅列で必死に打ち込んでいたし、帰ってすぐ残した観劇メモは、するすると逃げていく感情や気持ちの揺れ、その尻尾をつかみ、姿がまだあるうちに残そうとしているようでした。

とにかく忘れないうちに、この熱量が落ちないうちに、ろうそくの最後の炎が消えてしまわないうちに、そんな追い立てられるような気持ちで言葉を残そうとしていました。


ものすごいエネルギーを浴びて、自分の中にいったん取りれたものがいっぱいになって溢れ出すような気持ちになっても、その熱量は時間とともに必ず落ちていってしまいます。
それは記憶が時間とともにおぼろげになっていくのにも似ていて、あの時確かこうだったはずなのにということも時が経つとどうだったけかな?と自分でもあやふやな感覚になっていってしまいます。
色褪せる、というか煙のようにどこかに消えてしまうような。

記憶は移ろいやすく、上書きされやすく、信用できない
記憶は後からいくらでも改ざん、捏造できてしまう
記憶はその時どきの自分の状態に合わせて都合よく姿を変える

だから残しておかなければ
その時の熱量をその時の言葉で

うまい表現は後から思いつくかもしれない
もっとぴったりな言葉をあとから思い出すかもしれない

でも熱量はみるみるうちに小さくなっていくから

だから冷めないうちに
荒々しくて乱雑でもいいから
残しておかなきゃ


そんな気持ちを見透かされたかのように

とにかく書けるところを今自分が持っている熱量のままキーボードに打ち込んでいくしかないです。

オタクとして消費者として一流でありたい、という話 - ゅぃゅぃ日記

自分のオタク熱量が時間とともに霧散してしまい後で追えなくなってしまうのはあまりにも悲しすぎて耐えられません。

オタクとして消費者として一流でありたい、という話 - ゅぃゅぃ日記

まずは、熱量を保持し続け、不格好でも形に残しておくことです。熱量だけは、失ってしまうと取り返しがつかないものなので。

オタクとして消費者として一流でありたい、という話 - ゅぃゅぃ日記


と綴られたこの文章に出会ったのは、巡り合わせなのだと思わざるをえません。
そのことばかり気にかかり、無意識に張り巡らした意識のアンテナに引っかかったに違いないのです。

いったいなににそんなに動かされたのだろう

ここが自分でもいまひとつはっきりしなかったのですが、観劇メモを見直して、ははぁなるほどとわかりました。同じことを何度も書いているのです。
やっぱり直後の一番新鮮な熱量マックスで残したものは嘘をつかないですね。

大好きな関さんのお芝居をまぢかで見て、その芝居に心を打たれたことは間違いありません。
こんなふうに間をとるんだ、こんな表情はこんな心情の表れなんだろうか、こういう表現の仕方が好きだ、ここのセリフのところの声が渋い、と事細かにメモしていました。

でも、想像を超えて心が動く時は、期待していなかったサプライズ、プラスアルファがあるものです。

役に入っていくところを見れたこと

これがそのプラス部分でした。

工場見学の舞台版、とでも言えばいいでしょうか。
芝居を商品と見立て、舞台に上がって演じるのを出荷と読み替えるなら、その商品を作っている工場の中をのぞき見した感じです。

役者関智一が泉鏡花という役柄、ひいては舞台「神楽坂怪奇譚 -棲-」という商品を作り上げて送り出す直前ギリギリの一コマ。

ほんの短い間に役に入るプロセスを垣間見ることができた、
マジックのように一瞬で顔つきが変わるその刹那を見せてもらえた、

そういうのが心を震わせたのでした。
普段は決して見ることができない舞台裏。
舞台袖や楽屋の中でしているであろう集中力を上げ、さあ、と役に入っていく様子を、それがその場ですぐに芝居となって形になるプロセスを、一連で生で目の前で観れるなんていう稀有な体験をできたことが、自分の中のファン心理にザックリと刺さったのでした。

大好きなシェフがオープンキッチンで料理を作っている姿を見ながら待ち、その一皿が目の前に運ばれてきた時のワクワクする気持ちと、その料理を味わった時の美味しい感動。
例えるならそんな感じでしょうか。

みんな後ろ、でき上がる前が見たいの

生アフレコやメイキングがみんな大好きなのは、作ってるところ、エネルギーが注がれている現場が見られるから。
大晦日NHKでやっていた「あけおめ!声優大集合 日本アニメ100」での関さんのギルガメッシュ、朴璐美さんのエド。夜中の3時、4時という深い時間にもかかわらず、スタジオにいた若手声優さんまでがきゃあきゃあ興奮し、ツイッターも喜びに沸いていました。画面越しに見ているだけでも頭に血がのぼるほどテンションあがります。

だってそりゃそうです。
さっきまでおちゃらけてた人が瞬時にギル様になり、エドになり、そらで言えるほど大好きなあの言葉を吐いてくださるのだから。

きれいに仕上がった完成品の後ろを見たい、知りたい、入り込みたいのです。

大むかし、たぶん20年以上前に建築家の安藤忠雄展を観に行った時もそうだったと思い出しました。
数メートルほども長さのある建物のラフデッサン。何の建物のものだったか覚えていないけど、4Bとか5Bぐらいの太く濃い鉛筆で、一見擲(なぐ)り書きかと思うような勢いで描かれた線の重なり。そこに込められた熱量にぞくっとした、そのことだけ覚えています。完成品には程遠いステージのラフからは、安藤さんがこの建物に注いだ初期衝動のようなものが溢れんばかりに発散されていました。
いくら記憶が信用ならないと言っても、その「ぞくっとした」ことだけはしっかり覚えているし、それだけで十分だと思っています。

先生の原画展やペダルナイトでのネーム披露を見た時もそうでした。
きれいに仕上がる前、顔の輪郭もまだはっきりしないネームにはこれから形作られていく息吹を感じるし、原稿の大きな絵は爆発寸前の花火のようなパワーを感じます。

もしも透明人間になって先生の仕事場の天井の隅っこに浮かんで、先生が弱虫ペダルを描いているそのプロセスを見ることができたら……その時も同じくらいかそれ以上の興奮状態になるでしょう。

何かわからないけどすごく良かった、より、◯◯がよかった

昨日の記事を書かせた何かがずっと気になって、好きな人から受け取った熱量を次に送り出す、というフレーズが心に浮かび、あちこちそのヒントを探してみて、

まずは、熱量を保持し続け、不格好でも形に残しておくことです。熱量だけは、失ってしまうと取り返しがつかないものなので。

オタクとして消費者として一流でありたい、という話 - ゅぃゅぃ日記


というこの言葉に出会って自分のメモをもう一度見返したことで、心を動かしたものがなんだったのかがかなりクリアになったし、ここに綴ったのは大いにその助けになりました。

作品やコンテンツに触れて感動したり心が動いた時、何かわからないけどすごく良かった、というのも全然ありだと思います(全然の使い方良くないのだけど、気分にあった表し方なのでこのまま使います)
でも具体的に◯◯がよかった、と認識していると、自分の熱量の低下ペースを遅らせることができるなと思いました。 そこを意識して反芻することができ、そうすることで熱量の維持期間を多少なりとも伸ばすことができると思うのです。

実際ここ数日、観劇メモと台本の書き込みを何度も繰り返し眺めては脳内で舞台を再生していましたが、ビビッドに再生できたのはメモに残ったところばかり、それも繰り返し書き記したところばかりでした。

結果として受け取った熱量を次に送り出すことにつながるのかなと思います。
人は自分と同じ思考パターンではないので、つかみどころのない抽象的な感動経験をマシンガンのように話されても共感はしてくれないでしょう。かといって話のあらすじを平坦に説明されても読んでみよう、見てみようとは思ってもらえません。
高い熱量を維持しつつも、他人にとってもわかりやすい語り口で好きなものを語るのは楽でもないし簡単な作業でもありません。それでも語りたい、伝えたいと思うのは、その受け取った熱量を次に送り出すことで、誰かにそれが届き、結果的に作品の、演者さんの熱量をより遠く、広く届けることにつながるんじゃないか、平たく言えば好きになってくれる人が増えれば嬉しい、という希望があるから。

はぁ。


神楽坂怪奇譚 -棲- を見てから急に暑苦しいことを語り始めたのは、やっぱり何か連れて帰ってきてしまったのか。
それとも実はもともと自分の中に棲んでいたものがあの舞台をきっかけに顔をのぞかせ始めたのか。

どちらにしても自分の中の何かが相当な刺激を受けて、外に出たがっていることだけは間違いないみたいです。