弱虫ペダルが好きすぎて

祝!連載10周年!!アニメ4期は2日目の山へ!週チャン連載はいよいよラストゴールへ!ゆるペダルナイトで『総北信号機トリオの手繋ぎゴール』を先生にお願いしたかったのに忘れて大後悔中。弱虫ペダルの好きな場面と時々声優関智一さんの舞台話など。

「練習」とは持っているものを最大限に生かす訓練だ。


わたるん先生

 

弱虫ペダルを読んでいると、ひとつのメッセージが繰り返し繰り返し
いろんな場面で形を変えて出てきてると感じます。
これは先生から読者みんなへのメッセージなんだと感じています。

 

人はみんなそれぞれで、みんな違う

他の人にならなくっていい、みんなと同じでなくたっていい

自分の持っているものを最大限生かそう

 

そういうフィロソフィーを感じます。
この福ちゃんが葦木場に言ったことばには、それが集約されている気がします。


「だったら顔を上げろ、見渡せ。
お前にしか見ることのできない景色を。
お前が今見ているものは、お前にしか見えないものだ。
すでに人と違うものを、お前は持っている。

 

(でも、それは。。)

 

「不利、か?誰が決めた?
お前だ。
強くなるためには練習しかない。
練習とは持っているものを最大限に生かす訓練だ。
それを研ぎ澄ませば見えてくるはずだ、必ず。お前だけの走りが。」


最強の洗濯係と言われ選手をやめようと考えていた葦木場。

RIDE 245 (29巻)「葦木場の道」での福ちゃんのぶっきらぼうながら愛に溢れた葦木場へのアドバイス。
何度も何度も読み返して、読み返すたびに心に刺さって涙が出ます。

 

「練習」ってできないことをできるようにするためのものだと思っていました。
小さいころ逆上がりができなくて、一番低い鉄棒で練習していたとき、
自分だけできないのが恥ずかしくて、悔しくて、泣きながら練習してました。

だから練習って、辛いもの、イヤなこと、やりたくないこと、ってラベルが貼られ、それはずっと長いあいだ剥がれることはありませんでした。


だからなるべく練習はしないで済ませたい。
練習しないでできることだけ選ぶくせが知らず知らずのうちについていきました。

 

だから、この練習の定義は私には衝撃的な一言だったんです。

 

「練習とは持っているものを最大限に生かす訓練だ。」

 

苦しいとか辛いとか、イヤなイメージは全く湧いてきません。

 

むしろ、
どうやったらもっと活かせるだろうか、とか
どれをどう生かしたらいいだろう、とか
工夫しようとか、ちょっとでも活かせてできることが増えたり、
うまくいかなかったのがうまくできるようになったり、
少しずつ少しずつ自分が変化していく楽しさが味わえそうだと
ワクワクします。

 

この言葉に出会ってから、
稽古とか練習とか、大好きになりました。

 

武道の稽古に数年前から通っていますが、
自分の稽古に対する姿勢が変わったと感じます。

小さな動きに対して注意を払うようになり、
丁寧を心がけるようになり、
小さな積み重ねをバカにしなくなりました。

そうしたら、
なかなかうまくできず長い間足踏み状態だったある型の動きが、
あるときすごくいい形でできて、「これだ」という感覚がつかめたり、
以前に比べて先生や先輩方が「見てて」くれていることが増えたり、
周りからも「変わった」と言われることが増えてきました。

 

自分が変わるとまわりが変わる

 

とはよく言われることですが、その通りのことが起こっています。

 

できないって決めつけない
無理って思い込まない
持ってるものを使いこなせるよう訓練する

 

言葉で言うのは簡単だけど、やるのはそんなに簡単じゃないです。

 

もう無理ってあきらめてしまったり、
そんなのできないよーとハナから決めつけてしまうこと、
どれだけやってきたかわかりません。

 

だってトライしてできなかったらかっこ悪いし、
その努力の時間、何にもならなかったムダな時間だったって思いたくないし。

そうやって生きてきた方がカッコ悪かったなって今は思ってます。

だけど今からだって遅くない。

これからはカッコいいほうで行こうと思ってます。

 


練習してる時間、うまくできないのは気持ちのいいものじゃないけど
うまくなろうと努力しているプロセスは充実して気持ちがいい。

毎日の変化は小さすぎて見えないけど、
しばらく経ってから、目に見える変化として現れたときは
すごく達成感あるし、自分を褒めてやりたいし、自信がついて嬉しくなる。

 

そんなことを自転車乗りの高校生から教わりました。
今ごろ?って気恥ずかしい気もしますが、とてもいい気分です。