え? うそやん? そこカットする?!
わたるん先生
昨夜の「弱虫ペダル Re:GENERATION」オールナイト応援上映。
冒頭の岸尾さんと大輝くんの舞台挨拶(雑談?)からすごく楽しく、いい夜だったんですが、膝から崩れ落ちるほどがっかりした編集箇所の印象があまりに強く、他の記憶が飛んでしまいました。
Re:GENERATIONは「弱虫ペダル Re:RIDE」や「弱虫ペダル Re:ROAD」と同じくアニメの総集編プラスオリジナルカット、それもあれだけの量を90分に詰め込んでると知っているので、好きな場面が全部入ってるわけじゃないってのは覚悟してます。
ああこれ入ってた、よかった、嬉しい ^^/
と
あ、ここ落ちてる、残念、悲しい(><)
が入れ替わり立ち替わり現れ、脳も感情も総動員で見るので忙しいです。
BGMがOPやEDの曲に差し替えられたところでは、ちょっと気持ちにズレが生じたり。
そういう時は脳内で置き換えたり、足したり・・・ 、見てるというより、都合よく再編集・再構成しちゃってます。
まあそんなこんな、わかってて見るんですが。
なんとも言えない寂しさをぬぐいきれなかったのでした。
インハイスタート前、京都伏見のテントにあらわれた鳴子を迎えた御堂筋くんのセリフ。
「何しに来たん?」
え?
それだけで次いくの?
まぢで?
うそやん?
言いようのないショック。
聞き落としたと思いたい。
けどたぶん聞き落としじゃない。 落ちてた。
「応援?」
あれは
「あらあらあらあらあらあらあら?」 から
「なにしにきたん?」
「応援?」
ここまでワンセットで
遊佐御堂筋の魅力が全開で発揮されるとこでしょーーーーーーーーーーーー!!!
鳴子が「京伏の応援」に来るなんてはずなく
「勝負しよ」て言いに来てることは百も承知での
あえての
「お う え ん ?」
やのに?
御堂筋の
相手の意図を知って弄ぶ、いやらし〜〜〜い魅力がみごとに消し飛んでました。
と、ひととおりフラストレーションの嵐が過ぎ去ったあとに思ったのです。
編集ってむずかしいものですね。
どこを削ってどこを残すか。
一度世に出たものは特に、初めのバージョンの印象が残るのでやりにくいものなのだろうと思います。
弱虫ペダルの場合は、マンガの原作があり、それをアニメにする時点で原作の流れをどれだけ残すか、という工程が一度入り、さらに総集編的な劇場版ではそこからそぎ落としまくるという工程を経ているので、大変さが増してるのだなと、この場面を見て思いました。
もちろんあとから^^
パンフレットを読み直したら、鍋島監督がエピソードを削らなければならない大変さ、ある意味葛藤のようなものを語っておられたので、やっぱりそうなんだと二度納得です。
他の場面、セリフが落ちていることを嘆いているファンもいるでしょう。
ファンの数だけ、あの場面が見たい、このセリフを聞きたいという期待があるはず。
けどその全てを掬い上げることはできない。
編集の苦労というのは取捨選択の苦労なのだとわかります。
選ぶ、ということは大変なエネルギーがいること。
それをおそらく途方もない回数重ねてできたのがこの作品なのだ。
エネルギーを使って削り出した結晶。
そう思うと、勝手な感想をこうやってまき散らすことは控えるべきことなのかもしれません。
でもやっぱり伝えたいと思ってしまうのです。
ただのいちファンとしての他愛もない単純な気持ち、感想なのだけど、
ただのいちファンが作品のどこをどう愛しているのか、
巡りめぐってもし作り手の耳に届いてくれたら。
そんなふうに思ってしまうのです。