準備不足よりタチが悪いのは
わたるん先生
大失敗です。
教訓とすべく、今週のお題「今年買ってよかったもの」の正反対の出来事として記しておこうと思います。
あのとき
それから心に決めたこと。
お金は「こころが動くこと」に使おう。(略)
けどひとつだけ。
必ず、
「こころが動く」ことに使おう
と決めました。
こう心に決めたくせに、ちょっとした躊躇、それも、自覚しつつも偽の迷いに引っかかるという二重三重の間違いを犯した大失敗でした。
事象としては、この朗読劇を見逃した、ということなのですが、準備不足、というよりもチケット発売の時点では興味がなかったので、情報アンテナに引っかからず、ただ単純に知りませんでした。
そのままなら後悔なんてしないです、興味ないんだから。
だけど、こんな経緯を経て、AD−LIVEも「声優に死す」も観た後ではそういうわけにはいきません。
すでに「興味ありあり」の状態でこの一般発売開始の情報に接したのに、準備を怠ってしまったのが一つ目の失敗。後悔と反省の種。
なんでだったか忘れたけど、なにか用事があって外出しているうちに、チケットは完売になってました。
忘れるぐらいの用事ってことは、自分の中でそれは大したことはなかっただろうに。
それでもう身もだえするほどの後悔を味わったくせに。
公演数日前、諦めきれずにまた公式サイトをながめ、キャストの動画をまた飽きもせず何度も見たあと、ここまで来たのでまあ一応とチケット情報のリンク先に飛んだら、戻りが出たのか完売だったはずのチケットが買える状態になってたのに。
そのとき自分の中にあった ”とある制約” のためにポチッとするのを見送りました。
迷いが生じただけならまだしも、その迷いを見極めることなく迷いっぱなしにしてしまいました。
翌日見たらもう、すべて完売に変わっていました。
こういうときは即ポチらなきゃいけないのに。
AD−LIVEのときにそれを身をもって体験したはずなのに。
さらに後悔の上乗せは、公演後オンラインサイトでプレイボタン、台本、パンフレットなど販売されていたのに予約販売の期日を逃してしまったこと。
ここでも、買おうかどうしようか迷いました。
ツイッターや観劇レポを読みあさったせいで、やっぱり予想を超えて良かったんだと知ってしまうと、観たからこそ何度も繰り返し聴くと感動できるだろうけど、行ってなくて聴いたら、行かなかった後悔が逆に募るんじゃないか、悔しさがよけいに増すんじゃないか、とずるずるうだうだと迷い続け、予約期日を過ぎ、間に合わなかったのだから、となんだか半ばほっとしながら自分に言い訳をしている自分自身の姿に気分が悪くなりました。鏡に顔を映したら醜悪な顔だったに違いない
いやいや、間に合わなかったんじゃなくてさ。
間に合うように動かなかっただけでしょ。
それ、自分でその状況作ってるよね。
それもわざと。
気づいてないふりしてもダメダメ、ちゃんとバレてるよ。
バレバレだっつーの。
と自分がもう一人の自分を責め、非難し、あざ笑い、なじってました。
ピンときたらすぐ行動しろってよく言うあれ。
チャンスの神様は頭がハゲてるとも言うあれ。
本当に本当に本当に本当に、そのとおりです。
それをしなかったときの心の痛み、後悔の大きさは、”ピン” とこなかったときの比ではなく、ものすごい重量と圧で心にのしかかってきます。
行ってたら確実に「今年買って”ものすごく”よかったもの」が増えていたに違いないのに。
見たいという気持ちはあんなにも純粋だったのに、偽の迷いという不純物が混じったせいで望みの純度が落ちてしまった。
もうあんな思いはしたくない。
あんな後悔は嫌だ。
そう思うなら、二度とやるなよ!
って神さまからのお叱りだと思ってます。
わかってるのにやっちまったことには、相応のきついお仕置きが返ってくるのだと思い、来年への教訓にします。
お金は「こころが動くこと」に使おう。
追加修正
「こころが動くこと」に出会ったら
その時できることはすぐしよう。
そしてもし迷いが出たら、その迷いは本当に迷ってるのか、何かしら自分がかけているブレーキが作り出した偽の迷いなのか、見極めろ。
偽の迷いならそれは無視無視!